Voice of Fascist

VoFの転載兼雑記/現代ファシズムの可能性と実態の探求、批判的再構築の実行.

ナチスを矮小化する高須克弥はファシスト失格だ!日本における『ナチス』のコンテンツとしての消費、その害悪

 

趣味者的矮小化への怒り

 タイトルを見て困惑された方のために説明させていただくが、私はファシストである。

 今回の高須克弥に対する主な批判は、医師が「ナチス賛美」を行う問題性についてであり、それが左派と右派の政治的対立に発展していると言えるが、私がこの記事で主張したいことは、高須克弥の行ったとされる「ナチス賛美」が実際はナチスの矮小化でしかなく、このようなコンテンツとしての『ナチス』消費は我々のファシズム運動の発展にとって障害でしかないということである。もっと言えば、この問題についてファシストの立場から高須克弥の言動を批判することを通して、日本で行われてきたナチスの趣味者的受容そのものを批判することが目的である。(左派が彼のような人物を医師失格と非難することはよいとして、ファシスト扱いされるのは困るというのもあるが)

 

ナチス賛美」の実態

 まずは高須克弥が行ったとされる「ナチス賛美」の詳細を見ていきたい。

 

僕は確信した

誰が何と言おうが
ヒトラーは私心のない
本物の愛国者

ニューオータニに帰ってきた|高須克弥オフィシャルブログ「YES高須クリニック! 」Powered by Ameba

 

  確かに、彼はナチスに肯定的なことを書いているが、その内実をよく見ると彼の言動が「ナチス賛美」どころか矮小化でしかないことがよく分かる。

 まず、主に彼が肯定しているのはナチスの科学についてであるということが、自分を科学者としてネオナチと対比したり、科学者は尊敬するがイデオロギーは支持しないと言うような論法から読み取れる。これは趣味者にありがちなやり方だろう。ナチスの経済政策や科学技術、軍事といった側面からナチスを評価し、絶対悪的に扱う左派を批判するというのはこれまで何度も行われてきた主張である。いわゆる「ナチスにも良いところがあった!」だ。

 だがこういった主張こそナチスの矮小化だろう。ナチスは景気を良くするための集団でもなければ単に戦争をするためだけの集団でもない。ナチスの究極目的は国家社会主義革命による彼らの「世界観」の実現であり、経済や戦争は手段に過ぎないのだ。その世界観の中に社会ダーウィニズムに基づく人種論が含まれていることはいうまでもない。極端に言えば、ナチスの人種論やホロコーストの問題を抜きでナチスの偉大さを語ることは不可能だろう。高須克弥や趣味者たちがよく行うナチス賛美の実態とは、もっとも重要なイデオロギーを無視することで、俗的な「政策」の次元にまでナチスを矮小化することに他ならない。自らの小市民的道徳にナチスを沿わせることによって、イデオロギーの重要性を無視し、『ナチス』そのものを相対化、無害化したコンテンツとして消費するのだ。高須克弥は「僕にナチスの偉大さを教えて下さった黒木名誉教授」と言っているが、その教え子がこのようなナチスに対して不誠実な矮小化を行っているようでは教えて下さった恩師にも失礼だろう。

 

 

 第二にホロコースト否定についてであるが、これもまったくナンセンスと言わざるを得ないだろう。このような問題については、すでに私よりも的確な批判がなされていたので引用する。

 

 

ホロコーストなど無かったという歴史修正主義者がいますが、彼らはナチスを擁護しているつもりなのでしょうが、実は良くも悪くもナチスの矮小化だと思います。ナチスからホロコーストを取ったら、ナチスはどうしようもない社民の一種だと思います。もしナチス存在論的な革命性を言うとするならホロコーストだと思います。通常の立場からすれば、なぜ人を殺すことが倫理的行為なのかという批判や疑問があるわけであり、それを解かなければならないのです。

千坂恭二著 思想としてのファシズム大東亜戦争と1968」 

 

 

 

 

 第三に高須克弥の「ヒトラーは私心のない本物の愛国者」という発言についても、陳腐で俗的な肯定でしかない。いわばヒトラーナチスの思想を愛国主義に矮小化するというのはこれまで幾度となく行われており、これもナチスの最も重要なイデオロギーや世界観についての認識、理解が欠けているが故の言動だろう。ナチズムやファシズムは単なる愛国主義ではなく、従来の体制派や保守主義者、右翼に対しても緊迫した対立関係にあった。ここでファシズムイデオロギーについて長々と書き連ねるのはナンセンスかつ私には重荷なので、象徴的な事柄を一つだけ上げるが、ナチス党歌の歌詞には共産主義者白色反動が撃ち殺した同志の心とともに行進すると書かれており、その性質を端的に表している。ナチスを批判するにしても肯定するにしても、彼らのイデオロギーを無視して行うことは不可能であり、無意味だ。私個人はファシストではあるがネオナチではない為、ナチスに批判的な側面もあるが上記の事を認識したうえで批判している。

 

まとめ:高須克弥ファシストというよりも趣味者

 結局、今回の問題は医療従事者がナチス信奉者であったというよりも、ナチスをコンテンツとして消費していたと言った方が正確だろう。もちろんこれはこれで問題ではあるが、問題の性質が異なる。とても雑に言ってしまえば、スターリン金日成肖像画を部屋に貼り、ウラー!だとか言っている共産趣味者が公に発言して炎上したようなものと同じである。

 高須克弥は「ネオナチはファッションで僕らは科学者」と自称しているが、意志の勝利を見て感激し、記事のタイトルをハイルヒトラーにしたり、こうやって問題になるとナチスを批判する(その内容も稚拙だが)等、彼の方がよっぽど「ファッション」的であるとしか言いようがない。海外におけるネオナチ、ネオファシズム運動は良くも悪くも先鋭的であり思想的水準も高く、彼のファッションぶりと比較すると歴然の差である。この記事が今回の問題から発展した左右の政治的対立に加わるものだと誤解されるのは不愉快なのでもう一度強調するが、この記事は彼のようなファッション的な『ナチス』消費が、政治運動としてのファシズムの発展にとって害悪でしかないと思ったため、ファシストとして批判したものである。今回の問題やナチス制服のアイドル等のように、ナチスについてはたびたび炎上するが、そのほとんどは日本が他国に比べナチス』のコンテンツとしての消費に甘いという事実が原因だろう。左派などはこれをファシズム信奉者によるものだと判断して批判するがそれは間違いであり、それらの実態は趣味者や消費者によるごっこ遊びでしかなく、主義者による政治闘争では決してない。むしろ趣味者による矮小化はファシズム運動の発展を阻害している要因の一つでさえあるのだ。このことは日本におけるネオナチ、ファシズム運動の現状を他国のものと比較すればすぐに理解できることであろう。

 

結論

 我々日本のファシストはこのような風潮によって発生するナチズムやファシズムの矮小化・修正・改悪を決して許してはならず、批判していかなければならない。

 

 

筆者Twitterアカウント

キュー.アカ (@Volk_Soc) | Twitter

 

特集:ファシストが語るファシズム 1

「特集:ファシストが語るファシズムとはこれまでの客観的なファシズム論、すなわち他者として、研究対象としてファシズムを語るという構造を脱し、ファシスト自身が自分にとってのファシズムを主観的に語る試みの連載企画です。多くのファシスト有志の方の考えを聞きたいと考えているので、もしよろしければキューアカ@Volk_Socialistまでご連絡ください。一作目は全国民族主義者同盟北星会会長からの寄稿です。

 

 私達の国をひとつの病が覆っている。それは堕落した客観主義の病、自己自身であることを放棄するという病だ。この病魔は人間に、あらゆる主観的束縛から独立した認識なるものを約束する。それはあたかも、あらゆる偏見を超越した、完全に公平な立場が存在するかのように偽る。人々はこの嘘を鵜呑みにし、ありもしないどこかに「客観性」なるものを追いもとめる。彼らはこうして自己自身であることを捨てさり、いわば服を着た公平性とでもいうべきものになりさがる。

 しかしながら、伝統的哲学が正しく教えているとおり、何かでないものは絶対に存在できない。存在するあらゆるものはその本質によって限定され、必ず何らかのものとしてのみ存在する。このことは存在においてと同様、認識においても同じである。だからこの病にかかった人達は、自分の認識が何にも限定されないと思いこむことによって、自らの立場や伝統を、自らの存在や生の可能性を手放してしまう。そして生を手放した彼らには、ただ金銭と、今や金銭によって交換可能となった生活だけが残されるのである。客観主義、物質主義、過度に発達した資本主義はこのようにして、手を取りあいながら我が国の生を蝕んでいる。

 我々ファッシストはこの病に正面から立ちむかう。我々ファッシストはまず、何よりも我々自身であることを望む。我々はすべてを差しおいて、ファッシストであろうとする。ではファッシストとは何か。またファッシストが抱く思想、すなわちファッシズムとは何であるのか。これらのことについて考えるのが、今回本記事の課題である。

 今日ファッシズムほど人々の誤解にさらされている概念は他にない。それは軍国主義や圧政の同義語として用いられたり、対立する相手への攻撃手段として用いられたりしている。そしてほとんどの場合、この使用は否定的な価値判断を伴って行われる。今やファッシズムという語は相手を卑下するための蔑み言葉となり、その内容をほとんど喪失してしまった。

 しかしあらゆる有意義な思想と同じく、ファッシズムもまたいくつかの根本的な教説に還元されうるはずだ。本質的にいってファッシズムとはおそらく、政治学の対象となる現象を意味する語ではない。それはむしろいくつかの根源的な命題から展開し、我々の生と生活のすみずみまでを規定しうる、ひとつの有機的な体系であるはずだ。

 あらゆる偉大な詩人は、決して個別の作品に現れないたったひとつの根源詩から詩作するのだ、ハイデッガーはかつてそう述べた。このことは思想においても同じである。あらゆる思想は核となる世界観や情念を中心として形成されるのであって、この核となるものが文章や作品や政策という形式で、現実の社会において展開されるのである。だから何か或る現象の一部のみをつかまえてファッシズムと騒ぎ立てる人々、このような人々はファッシズムの何たるかをまったく理解していないし、さらに思想一般の何たるかもまったく理解していないということになる。

 確かに我々も今のところはまだ、ファッシズムの本質について完全には理解していない。しかし、今や我々は客観主義による自己疎外を乗りこえ、我々自身であることを望んでいる。そして重要なことに、我々は少なくともファッシストである。自らが芸術家として行う実際の創作が、芸術について費やされた一万の言葉をはるかに凌ぐ体験であるように、ファッシズムを理解する最良の方法は、自らの肉体をとおしてファッシズムを展開させること以外にない。ジェンティーレがファッシズムを「教理の内在する行動」と定義したとき、彼は以上のようなことを考えていたはずなのだ。公平さを求めて天秤を注視しつづけるような生活を、我々ファッシストは拒絶する。我々はどちらかの重りになりたい。我々は一発の銃弾になりたい。我々は一振りの刀になりたい。暴風や、雷や、炎になりたい。荒れ狂う海になりたい。静まりかえる雪原になりたい。我々はひとつの力になりたい。これこそがファッシストの願いである。

 

※ ※ ※

 

 我々は今からファッシストとして、ファッシズムの何たるかについて考察してみよう。その際注意するべきは、この試みが科学者の手による観察ではないということだ。それはむしろ、神秘主義者が行う自己省察に近い。我々は自らの外にある対象を観察し、それを客観的に記述しようとするのではなく、自らの内を深くまなざし、ファッシズムというひとつの思想が生まれる瞬間を、言語にのせて語りだそうとしている。否むしろファッシズムとは行動であって、我々は目下思考し、記述し、読み、理解するという行動を為しつつある。我々はまさに行動の只中にいるのだから、ファッシズムはまさしくこの瞬間にも我々の肉体に担われ、我々をとおして現実化しつづけているに違いないのだ。

 ファッシズムの根源に触れる時がきた。我々は自己の存在の根底に探りをいれ、九つの根本的命題を取りだしてくる。

 

 

      1.虚無主義

   2.認識論上の相対主義

   3.力の発現としての世界 

   4.思弁と行動との一致

   5.理性と感情との統一

   6.伝統の尊重

   7.国家ないし民族共同体における、個人の十全な自己実現

   8.社会正義の希求

   9.戦闘的、英雄的行動の賛美

 

 

これらそれぞれについて、以下にそのあらましを述べてみよう。

 

 

 1.虚無主義:70年ものあいだ続き、そして現在も進行しつつある物質主義による文化破壊、それがもたらす廃墟と残骸のうえに、我々は立っている。我が国本来のあらゆる価値体系は、いまだかつてないほどの蹂躙を受けている。我々ファッシストが出発するのはここからである。ファッシストは、人間の生を意味あるものにする根源的な価値が決して把握され得ないという認識を、まず甘んじて受け入れる。現代社会に乱立する様々な思想の潮流、そのどれもがすべて正しいわけではなく、すべて誤りであるというわけでもない。思想とは畢竟、ひとつの世界観なのであって、世界のすべてを説明しつくす普遍の真理というものではない。

 2.認識論上の相対主義:このような考えが、認識論におけるファッシストの相対主義を導く。ファッシストは自らの思想すなわちファッシズムが、普遍妥当的真理であるなどとは露ほども思わない。それは他の思想と同様、世界を説明する方法の一種にすぎないのであって、我々が数多くの思想の中からファッシズムを選択するのは、純然たる意志の発動の結果である。ファッシズムによって普遍の真理を捉えることは不可能であるが、そのようなことをファッシストはまったく気にかけない。なぜなら我々は、現実の社会を動かすのが真理などではないことを、身をもって知っているからである。

 3.力の発現としての世界:AUCTORITAS, NON VERITAS FACIT LEGEM.(真理ではなく権威こそが法をつくりだす。)この言葉どおり、世界変革の力となるのは普遍の真理などではなく権威であり、さらに言えば力である。ファッシストは力を信奉し、この世界をさまざまな力が覇権を競いあう場として捉える。力がせめぎあう世界の中で、あらゆる存在者は存在を維持するために力を必要とする。だから力とは、存在の動的側面である。我々ファッシストは存在することを望み、自分自身ひとつの力であることを望む。これがファッシストの存在論である。それゆえファッシストは、「権利」や「義務」といった近代的自由主義の枠組みに属する概念を否定することはしないが、それらに絶対の価値をおくこともない。権利を有していても不可能なことや、義務を有しているのにそれを履行しない者は、現実にいくらでも目にすることができるからである。むしろファッシストは権利を主張しうる力や、義務を履行せしめる力の必要性を主張するのである。ファッシストは現実主義者である。

 4.思弁と行動との一致:述べたように我々は力であって、この力を世界に向けてふるおうとする。そしてこのように力が発動する際の形式こそが、行動に他ならないのである。ファッシストは行動を賛美する。行動を通じてのみ、我々は世界に働きかけることができる。その際に、効率や方向性の点で行動を規定するのが、思弁である。しかし行動が思弁の下位に置かれ、行動が思弁に従属することは決してない。思弁は行動をとおして展開し、その結果如何によって修正を加えられ、さらにもう一度行動を規定する。この循環において思弁は、それ自体が思考というひとつの行動として、行動と一致する。これこそがファッシスト的純粋行動の思想なのであって、行動のみで思弁を伴わない者たち、またはその逆の者たちをファッシストは軽蔑する。

 5.理性と感情との統一:思弁と行動についていま述べられたことは、理性と感情との関係においてもそのままあてはまる。ファッシストは行動を誘発する契機として、感情を高く評価する。その際自らの感情について研究し、それに概念を与えて体系へと仕上げるのが理性の役割であるが、理性は感情を一方的に分析するのではなく、それ自体もまた感情によって左右され、規定されている。だから理性と感情との関係は、行動と思弁との場合とおなじように、相互依存的である。二つは別々の能力であるが、ひとりの人間において緩やかなまとまりをなし、ひとつの力として外界へと噴出する。ファッシストの人間観はそれゆえ、人間を余すところなく包摂しようとする、全人的なものである。

 6.伝統の尊重:合理主義者がするように、ファッシストが伝統の非合理性をもって伝統を排撃することは決してない。なぜならファッシストはあらゆる現象を力の現れとして解釈するのであって、伝統がそれ自体として有する力をファッシストは積極的に是認するからである。さらにまたファッシストの人間観は、述べたとおり全体的なものであるから、ファッシストは人間のうち或る側面が伝統的価値によって規定されることを排除せず、むしろそうした側面を人間にとって必要不可欠のものと考える。ご皇室、国体、その他伝統的諸価値を遵守し、これに新たな生命を吹き込もうと欲する少数の心ある人々、ファッシストは常にこうした人々と共に戦ってきたし、またこれからも永劫に戦い続けるのである。

 7.国家ないし民族共同体における、個人の十全な自己実現:述べたとおりファッシストは、伝統的諸価値によって規定されることを人間に必要不可欠な要素と考える。だからファッシズムの人間把握において、自国の伝統から離れた「人間一般」なるものは、どこにも存在しない空虚な抽象にすぎない。むしろファッシストは、伝統的諸価値を喪失することなく、しかも最も強力に意志の力が発揮されうる共同体、すなわち企業でもなく、階級でもなく、世界でもなく、まさしく国家において、人間の自己実現が最高の完成をみるという信念を持つ。この点でファッシズムは資本主義、共産主義世界市民主義などから、自らをはっきりと区別するのである。この国家における個人の自己実現という観念はさらに、ファッシストを政治参画へと駆り立てる。この認識を待ってはじめて、ファッシズムはひとつの政治思想となるのである。

 8.社会正義の希求:ファッシストは国家に所属するあらゆる個人が、国家において自らを最高程度に表現することを望んでいる。それゆえファッシストは、個人の自己実現の妨げとなる社会的束縛を、できるかぎり排除しようとする。ただしこの排除によって、国民の一部の集団が一方的に不利益を被ることを、ファッシストは望まない。そのような事態は国民を分断し、国家が国家たりうる所以である全体性を損ない、ひいては国家のもつ力を衰えさせるからである。ファッシストは社会的正義を希求し、利益の総体を全国民へと、可能な限り公正に分配することを望んでいる。ファッシズムの唱える階級協調の思想は、以上のようにして導きだされる。

 9.戦闘的、英雄的行動の賛美:ファッシストの見る世界は、さまざまな力を主体とした闘争の場である。ファッシストは自らがファッシストであることを望み、世界にあふれる力のひとつであることを望む。こうしてファッシストは闘争の只中に身を投げだす。ファッシストが遂行する戦闘は、少なくともひとつの行為であり、存在である。この場合中立の立場を決めこむことは、自らの存在を手放すことを意味する。戦闘的行為はそれ自体として称賛されるのであって、効率や政治的情勢に鑑みた評価は、この賞賛ののちに為されるのである。

 

 

※ ※ ※

 

 以上我々はファッシストとして思想を言語で展開し、それをもって自らファッシズムを遂行したのであった。私がこれを書き、読者諸氏がこれをお読みになるあいだ、その書き、読むという行為のうちで、ファッシズムは確かに我々と共にあった。今後ファッシストが自らの言葉でファッシズムを語り、自らの体でファッシズムを表現するのなら、そのときファッシズムは展開の場を得て、不断に成長を続けていくはずだ。本記事が現今我が国の愛国的運動に、ごく僅かなりとも寄与することができれば幸いである。

 

 

シャルル・モーラスとアクション・フランセーズ

1. シャルル・モーラスという人物

 シャルル・モーラス(Charles Maurras, 1868-1952)は主に第三共和政下で活躍した、フランスの文学者であり政治家である。モーラスは文学的立場として反ロマン主義、古典主義を標榜する傍ら、政治的には生粋の王党派右翼であり、19世紀末欧州における最強の反動的組織であったアクション・フランセーズを率いながらも、ジョルジュ・ソレル等極左サンディカリスト達とも親交を保ちつづけたという一風変わった人物であった。こうした一種の懐の広さゆえに、モーラスの思想的文学的影響は同じくアクション・フランセーズ界隈から出発したモーリス・ブランショ、そしてムッソリーニおよび古代地中海世界への崇敬の念をあえて隠すことなく、25000行にわたる大長詩『キャントーズ』をしたためた異端の詩人、エズラ・パウンドなど多岐にわたっている。

 しかし我々ファッシストにとって興味深いのは、このモーラスの生んだ思想の余波がアクション・フランセーズ内部において、また外部の右翼的諸党派において批判的に継承され、さらにはサンディカリズムとの思想的混交を経た結果、早くも1925年の時点でフランス最初のファッシズム団体「フェーソー」として結実する点であろう。本記事ではフランスにおけるファッシズム運動の萌芽について考察する前段階として、まずはこのシャルル・モーラスの思想について紹介しよう。

 

2.伝統的フランス右翼とアクション・フランセーズ

 第三共和政下のフランスにおいてモーラスの思想が有していた位置を見定めるために、当時の政治的状況を確認しておかなければならない。そもそもフランス革命の時代以来、フランスにおいて右翼といえば伝統的には共和派が主流であった。その理由は以下のとおりである。フランス革命の進行に伴い、その中心的な推進力はミラボー等穏健な立憲君主主義者たちから、共和制を信奉するジロンド派へと移行する。そしてその移行は、ヴァレンヌ逃亡事件によってルイ16世が国民の支持を失ったのち決定的となる。フランスにおけるこうした王政打倒の機運に危機感を感じたのが、プロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世を中心とする、諸外国の為政者たちであった。彼らは革命の熱波が欧州全体に波及し、自らの政体が脅かされることを恐れたのである。そしてこの反動勢力たるプロイセンに向けて革命フランスが宣戦布告し、1792年に勃発したのがフランス革命戦争なのであり、そこではよく知られているとおり、ラファイエット等に率いられたフランス市民軍がプロイセン正規軍を打ち破ることになるのである。こうした経緯で革命を勝ち取ったフランスにおいて、右翼陣営が伝統的に共和制支持にまわることは或る種の必然であった。革命フランス防衛のために銃をとった愛国者たちの記憶が、王党派に対する右翼陣営の距離感を後々までも規定したといいうるであろう。

 19世紀末にはフランスきっての反動勢力であったアクション・フランセーズもしかし、結成当初は以上のようなフランス右翼の大勢に漏れず共和制志向であった。この団体は1894年、「道徳的活動委員会」という、カント実践哲学をもとに社会正義を志向する集団の下部組織として発足したという。そしてこのいわば弱小旧右翼団体に、当時としては異色であった王政復古主義をもちこんだのが、本記事で我々が扱っているシャルル・モーラスなのであった。ではモーラスは自身フランス右翼でありながら、どのようにして王党派的思想に立ちいたったのか。この点について次に見ていこう。

3.自由という桎梏―モーラスの反ロマン主義と王政主義

 モーラスがあまたの他の右翼的文学者に先んずるのは、彼が純粋に自身の詩作の領域に属する原則を現実の社会情勢と照らしあわせて修正し、この参照に次ぐ修正という相互作用のうちで、アクション・フランセーズという欧州最大の右翼集団を牽引しうるだけの実質をもったイデオロギーへと自身の文学理論を昇華させていったという点においてである。以下に彼の文学的立場を概観してみよう。

 当時フランスの文壇では、一世代以前に隆盛を誇ったロマン主義的潮流の限界が次第にあらわとなり、それが内包する本質的に近代的かつ人文主義的な個性偏重志向への批判が徐々に活発化しはじめていた。テオフィル・ゴーティエが小説『オニュフュリウス』において、ロマン主義の現実を痛罵したのが1833年のことである。そののちさらに半世紀以上を経て、自我の無限の憧憬なるものに支えられ、あらゆる地上的桎梏からの自我の解放を推進したロマン主義的想像力の限界は、誰の眼にも明らかであった。個人の自我がすべての束縛から自由であらねばならないというロマン主義的文学理論は、それ自体もまたひとつの束縛として機能し、この使命を自らに課したフランスロマン主義は、自由であることを自らに強制するという自己矛盾によって、いわば自縄自縛の状態に陥っていたのである。こうした文学上のロマン主義を取りまく状況に対して、個性という近代主義的枠組みの外へ出ることで批判を試みた人々がいた。我らがシャルル・モーラスもその一人である。

 モーラス思想の要点を敢えて一語に集約させるなら、それは自由に対比される概念としての限定性ということになるであろう。作品を限定する形式を顧みないロマン主義者たちが、創造性への強迫から行きづまりに陥っていたのとは対照的に、モーラスは伝統的なフランス口承文学の形式に則って詩作を行った。いわば文学における一種の復古主義であるが、この復古主義は単なる衒学趣味や洗練志向に堕することなく、かえってアポリネールが正当に評価したように、伝統的形式という限定性を作品に持ちこむことで詩作の緊張感を高め、結果として逆説的にではあるが、作品に深みのある自由な表現を付与したのであった。

 モーラスの文学観に重要な位置をしめるこの限定性という概念は、政治思想の領域においてもまた、王政の必要性を説く際に彼が根拠とする根源的確信となっている。モーラスによれば、限られた者のみであれ人民によって為政者が選択される共和政体の場合と異なり、王政を支える根本原理とは、国王の血統という本質的に非合理かつ無意味な要素である。こうしたいわば非合理的な超越者たる国王を社会の頂点に据えることで、モーラスは近代を蝕む病理たる個人主義的欲望の留まることなき増長に歯止めをかけようとした。王の血統は非合理的であるがゆえに絶対的であり、それゆえ例えば政治における権力闘争や経済における自由競争といった、近代的自由が保障する競争原理はこれに適応できない。言いかえれば、平民が闘争や競争の結果として国王の地位を手にすることはありえない。このように国王という限定性の存在によって、近代的自由主義の根幹たる競争原理を挫き、そこからさらに個人主義的欲望にも一定の制限を加えることができる。モーラスはこのように考えたのである。

 さらにモーラスによれば、共和制に王政が優越する理由はまだ他にもある。国家を現実に形成しているのは様々な年齢、性別、出自や性向からなる人間の集団であるが、この非常に多種多様な人間の集団を、共和政体はただ人民という単一の範嚋に押しこめてしまっているとモーラスは考えた。もともと多様かつ異質のものを無理に単一の概念でとりまとめ、これに単一の価値体系を押しつけることは伝統的文化の破壊であるばかりか、人間同士の異質性をかえって際立たせ、国内に深刻な対立を生じさせかねない。そこでモーラスは多様なものが互いに同一化するのではなく、国王という絶対超越者を頂点に多様性を多様性のまま保持しつつ、ゆるやかな調和のうちにたゆたう社会を構想した。それはどのようなものか。

 モーラスは恐らく、先に近代の病弊であると述べた競争原理が、そのまま国内の同一化という現象を導くと考えていたに違いない。例えば地方による大都市への従属、多数意見による少数意見の圧殺など、自由競争の結果招来される諸現象は、いずれも強者による弱者の同化という形をとり、結局のところ文化破壊としてモーラスが憎悪する国内の画一化を招くことになるからである。これに対して先述のとおり、国王の血統はその無意味性によって、近代主義的競争原理による汚染を免れている。こうした超越者としての国王を頂きつつ地方分権的な社会をつくることによって、競争原理がもたらす国内の画一化を回避し、フランス文化の多様性をまるごと保持しながら、危急の際には団結の象徴としての国王のもとに結集する。およそこれが、王党派モーラスの理想としたフランスであった。

 

4.終わりに

 以上概観したモーラスの王党派的政治思想の重点は、以下の二点に集約されることであろう。

1. 王政とそれを保証する血統とは、自由競争という近代主義的原理とはまったく別種のいわば非合理主義的原理であり、それゆえ個人主義的欲望の際限なき増長に歯止めをかける抑止力たりうる。

2. 国王の血統が有する非合理性が自由競争と相反する性質を持つゆえに、それはまた自由競争によって損なわれてしまう文化の豊饒さを保持する原動力たりうる。

こうしたモーラスの王党派的政治思想から、我々日本国のファッシストは何を学ぶことができるであろうか。まず思い起こされるのは、日本国統合の象徴としてご皇室を頂く現代日本における、モーラス思想の可能性であろう。特に1. の点に関しては、畏れ多くもご皇統の有する非合理的性質を、国際金融資本主義を支える個人の消費活動の無際限な称揚に対抗しうるまったく別種の原理として把捉するというように、ただちに現今我が国の状況へと転用できると考えられる。次いで2. の点であるが、この場合事情はやや複雑である。国民統合の象徴としてのご皇室を頂く地方分権社会は、我が国の一部の右派勢力が理想とするところであるし、また理想とされるだけの十分な根拠をもつ社会類型であると信ずる。しかし、我々ファッシストもただちにこの種の社会を理想とすべきか。第三共和政下のフランスとは異なり、情報媒体と交通機関との飛躍的発展によって、既に引き返すことのできない文化的画一化への道を辿りつつあるというのが、昨今における我が国の状況なのではないか。もし事情がこのようであるとすれば、地方に残存する特殊文化を手厚く保護することは当然としても、国内の文化的画一化をも転じて是とすることができるような、我々に独自の文化理論が構築されねばならない筈である。そしてこの理論の成否は、そもそも文化や伝統とは何を意味するかという、文化一般の内実の理解にかかわる事柄となるはずである。勿論こうした大きな問題を本記事の内部で取りあつかうことはできないから、我々はモーラス思想を概観したことを一応の成果とし、続く考察は別の記事に委ねることにしよう。北星会およびそのファッシズムが常に英雄的かつ戦闘的であり、生気にあふれた豊穣な思弁を生み出しつづけることができるように。

 

参考文献:『奇妙な廃墟―フランスにおける反近代主義の系譜とコラボラトゥール』(福田和也国書刊行会、1989)103-131頁

 

ドイツ革命からファシズムを考える

本記事の目的は既存のドイツ革命に対する研究から、その後のナチス台頭との関連性を見ることで今後のファシズム運動の発展に寄与せんとすることである。そのため、ここで書かれることは主にドイツ革命の性質であって経緯ではないためご了承いただきたい。

 

 

 ドイツ革命について、ナチスなどの反共和派が「11月の犯罪者」、所謂「背後の一突き」と喧伝し自己の勢力拡大に役立てたことは有名であるが、SPDドイツ社会民主党)指導部も「革命」ではなく「崩壊」と称すなど左右から評価されなかった。リュールプはこのドイツ革命は「革命」でなかったとする言説に反論する。ドイツ史においては1525年農民戦争から東独における1989年秋の革命に至るまで多くの革命が存在しており、同じく多くの革命が存在してきたフランスやポーランドでは革命を自国の伝統と受け止めるのに対し、ドイツではそう考えず保守的な歴史解釈を行われがちであることを指摘する。また1960年代後半の学生運動が盛んだった頃、西独においてレーテの実証的研究が大きく進展する。レーテとは「評議会」を意味し、キールの反乱をきっかけに全国に反乱を波及させた勢力である。トルミンはこのレーテを、ロシアのソヴィエトともまた異なるドイツ固有のものであったとし、それは行政・軍隊・大経営の直接民主化を求める既成の政党や組合組織とは無関係の複数の自律的、自然発生的大衆運動であった。党や労働組合に指導される運動と異なり戦中のレーテ運動は自発的でポテンシャリティが大きく一九一八年一月ストにおいても表面化した以上の力を潜在していた。しかし、十一月革命を可能にしたレーテ運動は明瞭な戦術や中央の指導機関がないまま挫折。内的原因は理論的、政治的準備の欠如により組織を作ることに成功しなかったことにあるとされる。SPDといった社民政党コミンテルンなどの既存勢力ではなく、労働者や兵士による自発的な大衆運動がドイツ革命に大きな影響を与えたことは注目に値するだろう。

 

 1980年代になるとレーヴェンタールによる「革命の不在論」が出てくる。即ちヨーロッパの1789年や1917年あるいは中国共産党の達成した古典的革命は工業社会では達成し得ないとする考えである。国家の行政機構が増大し非常に複雑な分業体制と取っており、そのような機能の連続があらゆる方面から必要とされているとする「混乱に対する拒絶反応」機能が強調され、古典的革命では暴力性を伴ったような社会・政治秩序の構造的改革は先進工業社会では民主的な形態を辿るとされる。これは今後のファシズム運動の権力闘争においても参考になる指摘であろう。

 

 ルーカスの「ラディカリズムの二形態論」によると1880年代の「ドイツ労働者階級構造の激変」によって現れた二つの労働者階層のうち「専門技能労働者」は政治への関心が強く、SPDと自由労組を自己表現の場とする読書する労働者であったとされる。彼らは図書館の利用や観劇など文化活動が盛んであり、政党や労働組合を中心とする「労働者公共圏」に属していた。専門技能労働者は労働者階級全体の運動を取り仕切り、SPDや自由労働組合の中央幹部の支柱となる。この階層は自分の労働の価値を十分に認識していたので雇用者の譲歩を勝ちとることができ改良主義に親和的になる。また、SPDが高得票を示したライプツィッヒを中心とする工業地帯ではナチス下の1933年3月の選挙においてすらSPDの得票率は確固としていた。その理由はSPD系の文化運動と関連し、スポーツやコーラス、自由宗教グループなど諸種の余暇団体が発達しており労働者が党とつながっていたからである。それに対して同じくSPDが高得票率を得ていたザクセン、テューリンゲンは大恐慌期においてSPDからKPD、ナチスに変転する。これはこの地域の労働者はSPDによる組織化がされておらず「労働者公共圏」に属していない、もう一つの労働者階層「大衆労働者」であったことを示している。「大衆労働者」は不熟練で補助的な仕事、非専門職の重労働をするものである。専門技能労働者からすると彼は野蛮で無能で「モッブ」的であり、攻撃的、非政治的だった。大衆労働者は、今や権力の側にある専門技能労働者や労働組合、政党に対する不信感を強め、既存政党である多数派社会民主党、ドイツ共産党、独立社会民主党を敵対視するようになった。新聞や本を読まず、既存革新政党を敵視していた彼ら大衆労働者にとってポスターや街頭行進、演説を中心とするナチスの扇動は極めて効果的であったと考えられる。


 労働者が二つの階層に分断され、互いに敵対し異なる公共圏に属しているのは現在も同様であり興味深い。もっと言えば現在において、専門技能労働者は存在していても「労働者公共圏」というものは成り立っていないだろう。存在するのは非活字的でナチス的な扇動を受けやすい「大衆公共圏」のみであると私は考える。この公共圏に関しては大衆宣伝の神話: マルクスからヒトラーへのメディア史を参照されたい。

 

 

バイエルン革命について

 

 

ここまでドイツ革命の性質について重点を置いて書いてきた。この章では初期ナチスが活動した舞台でもあるバイエルンで起きた革命について書いていきたい。

 

 

 はじめに、バイエルンはドイツを代表するカトリック国であり、また農業国でもあった。住民は歴史の連続性と文化の伝統性を保持しドイツの中でも特に保守的な地域として知られている。この事は近代的な工場労働者を基盤とする社会主義運動の展開を難しくし、バイエルン社会主義者たちは穏健化することを迫られる。その為彼らは農民や小市民とも手を組み議会政治を中心に活動した。

 

 

 プロレタリアート工業労働者ばかりでなく手工業者や農民、頭脳労働者を含めて国民全般の圧迫されたもの、不満足なものの欲求を満たすことを社会民主党の課題とする。即ちバイエルン社会民主党ArbeiterparteiからVolksparteiへの転移を理論的にも実践的にも成し遂げたのである。

 

 後にバイエルン革命を率いることとなるクルト・アイスナーはジャーナリストであった。彼は皇帝ヴィルヘルム二世を風刺し不敬罪で九カ月の禁固刑を受けたことで社会民主党の指導者たちに注目され、リープクネヒトにより機関紙フォアヴェルツの編集部に迎えられる。しかし、ジャーナリストという立場とカントに影響を受けた倫理的社会主義という彼独自の思想はベルリン党中央からは白眼視され、ベルンシュタインの修正主義論争の最中であったことも災いしアイスナーは修正主義者として認定される。 1914年7月28日、第一次世界大戦が勃発し社会民主党は城内平和を採択する。アイスナーも「ロシア・ツァーリズムの侵略主義が平和に対する最大の危険である」と演説し参戦を煽るが、後に反戦派となり党からは孤立、編集者を解任される。

 

 独立社会民主党に加入したアイスナーはミュンヘンの酒場で反戦啓蒙をすることとなる。ドイツ労働者党(ナチ党の前身)の拠点やヒットラーの主な演説会場が酒場であったように、当時の酒場と革命は密接な関係にあったようである。この戦争によりバイエルンは農業国として食料供給の重い役割を負わされることとなり、その対策として比較的負担の低い工場の誘致を要請、これにより工業化することに成功し、戦争の需要に応じた多くの軍需工場が発達、多くの労働者が工場で働くようになった。この社会階層の変化はバイエルンの政治情勢を大きく変えることとなり、アイスナーの扇動によってストライキまでが起きた。これはかつてのバイエルンでは考えられないことである。また、戦争による農民の負担は反プロイセン的感情を煽り、負けが見えてくるにつれ「ベルリン政府によって戦争に巻き込まれた」という意識が大きくなっていく。

 

 

 

 バイエルンの陸曹へリングラートの報告

 

 「開戦当時に支配的であった感激はずっと前から薄らいで、広く広がったペシミズムがそれに代わった。その危険を過小評価してはならぬ。この感情は農村をも都市をも同様にとらえている。組織された労働者は賃金が向上しかつ労働組合及び社会民主党の規律がいきわたっているために最も信頼できるが、秩序への権威はラディカルな連中の影響を受けた日組織労働者の中に存在している、しかし最も深刻な問題は労働者よりも小市民層の中に存在する。彼らはその生活を脅かされ、経済的にはプロレタリアートの地位に落ち、突如として不安に襲われる恐れがある。

 

 この状況をいち早く革命に転化しようとしたアイスナーは集会を計画する。アイスナーに感化された兵士たちを待機させ、大衆のデモンストレーションが始まるとその列に加えさせた。一行は体制側の建築物の占拠に成功し、兵営の兵士たちは支配者側の無力感もあってかアイスナー側についた。その為この間に戦闘は起きず無血で革命は成功、アイスナーを首班とする暫定政府が樹立された。市民は一夜明けて新聞紙上で政権がレーテに移ったことを知るほどであった。

 

 アイスナーの思想は当時のドイツの社会主義者たちの中では特異なものであった。彼は戦争及び戦争を起こした軍国主義的旧ドイツ国家に対してはラディカルな敵対者であったが国内政策に関しては格別明瞭なプログラムを持っていたわけではない。この点では彼の思想はむしろSPDのそれとあまり相違はない穏健なもので、生産手段の社会化を強く求めることはなかった。また民主主義について彼は「新しい民主主義の実現に強めようと述べたが、すべての市民が二年ごとに選挙権を行使するというようなことが民主主義だとは思わない」「我々はバイエルンの内政において形式的のみならず生き生きと行動する民主主義の速やかな実現に努力する。立憲国民議会の招集以前に、公共的精神と公共的制度の民主化が行われなければならない」と語る。彼がここで新しい形の民主主義と言っているものがレーテ制度を指すことは明らかであり、SPDが望む国民議会に消極的な姿が見える。だからと言って彼はボルシェヴィズムにも賛成せず、このような独自の立場はSPD極左の板挟みを誘発することとなった。

 

 この頃経済状況が極めて悪化し、失業者が増大したことでミュンヘンにおけるアナキスト共産党支持者を中心とする極左派の運動が拡大する。また、SPDは国民議会招集に渋るアイスナーに対して強く要請をする。世論的にも国民議会招集を要求する声が大きくなってきたこともあり、ついに折れたアイスナーはレーテと国民議会を巡った議会選挙を実施した。この選挙にはラディカリストも”議会選挙そのものに対して闘争するため”と称して参加する。だが結果としては右翼のバイエルン人民党が第一党となり、SPDは第二党にとどまり、アイスナーが属する独立社会民主党に至ってはわずか3議席しか取れなかった。アイスナーはSPDとの連携を模索するも拒絶され窮地に陥り、その様子を見て政権を譲る気がないと考えた右派の青年によって射殺される。この権力の空白期間に極左派はレーテ共和国宣言を行う。新政府メンバーはランダウアー、ミューザム、エルンスト・トラーの三人である。 彼らはみな文学者、詩人でありユダヤ人である。この文学青年たちの政権はエーベルト政権の討伐を受けてすぐさま崩壊することとなる。

 

 

 

 バイエルン革命にはアイスナーの人為性・指導性の性質が強く、最後にそれがアナキズム共産主義に移行したのはバイエルン住民の要求と心情から遊離したものであった。この二つの思想を持った極左派の政府メンバーが皆ユダヤ人であったということはその流浪の民としての国民性が大きく影響しているだろう。これは皮肉にもバイエルン住民のユダヤ人への反感を強め後のナチス台頭の要因となる。

世界、世界観および意志について ―戦闘的虚無主義の必要性―

 我々は先の記事で、民族社会主義的な世界観について扱ったのであった。では民族社会主義的なものに限らず、世界観とはそもそも一般にどのような内実を持つものであるのか。三島由紀夫先生が『新ファッシズム論』のうちで述べておられるように、議会制による政治とファッシズムないし我々のいう民族社会主義による政治、これら二つの政治が抱える大きな相違のひとつは、前者が本質的に政治の技術を指すのに対し、後者が世界観の政治である、という点に存する。ではここでいう「世界観」とはいかなるものであり、それは現実の世界とどのような関係にたつものであり、どのように造られるのか。本記事ではこれらの問題について論じてみよう。

 

 我々が出発点とするべきは、人間の有限な知性が世界のすべてを認識しつくすことはできない、という事実である。ここでいう世界とはかつて生じ、現在生じつつあり、また未来において生ずるであろう事象の総体を指すが、我々の知性は今ここにおいて、言い換えれば時間と空間とに限定されてのみ機能するのであるから、事象の総体を認識しつくすことはできない。そしてその限りにおいて、世界はまず我々にとって不可解なものとして立ち現れる。世界を知りえないというこの知的な挫折感はさらに、日常における漠然とした不安と根源を同じくするものである。「私の知らぬ、私を知らぬ無限に広い空間の中に投げ込まれ、私は恐れおののく」(パスカル)。世界の総体が理解不能であるということは、すなわち世界が有すべき根源的な意味や価値、さらにはそれらから導出されるべき我々の生の根源的な意味や価値、これらのものが究極的には把握されえないということを意味する。換言すれば、この世がいかなるものであるか、またそれゆえこの世でどのように行為すべきか、こうしたことの全てを我々はついに知ることがない。我々の生はいわばその場しのぎの、かりそめのものとなり、それが本来持つべき躍動や充足感を喪失する。人間を取り巻くこうした状況が、通常「虚無的」(nihilistisch)と呼ばれるものである。

 

 しかしながら、無意味な世界のうちで受動的にその日を暮らす、このようなことに耐えられるように人間はできていないし、またそうあってはならない。人間はひとつの実存として、秩序だった世界のうちに生を送りたいという正当な欲求を持つ。ここに世界解釈と、その結果としての世界観なるものが登場するのである。世界のうちに生きる人間は、述べたとおり世界の全てを理解することができない。しかし人間は経験を手掛かりに、世界を解釈することができる。そしてその際この解釈行為は、善悪、真偽、美醜、その他一切の普遍的価値判断を考慮しない。つまり世界解釈とは、解釈者自身にとってこの世界がいかなるものであるべきか、という実存的当為に基づいた、意志による独断的行為でなければならない。それは一切の道徳的な束縛を無視し、蹂躙するものでなくてはならないのである。こうして人間は意志に基づいて各々なりの世界観を構築し、各々の世界観を世界へと、いわば投げかける。そのときもし、この世界観が脆弱であり、その体系の内部において矛盾を多く抱えるものであったなら、その解釈者は世界解釈に失敗するであろう。反対にその世界観がそれなりの強度を備え、首尾一貫したものであったとしたら、その解釈者は世界のすべてを説明しうる原理を、今や手にしたことになろう。ここにこそ民族社会主義というひとつの世界観が成立することになるのである。

 

1 こうした生の根源的価値はもちろん、かつて宗教やイデオロギーによって担保されていた。自然科学的知見の発達により、宗教やイデオロギーが元来与えてきた世界説明がもはや万人を納得させるものではなくなったことをさかいに、虚無的状況が出来したのである。

 

2 余談になるが、このことは科学者による科学的仮説の定立にもあてはまる。林檎が木から落下する情景をニュートンが観察したとき、地球と林檎とが引き合っているという仮説が提出される論理的必然性はどこにもなかった。ニュートンは例えば林檎の落下を招いた天使の存在を仮定してもよかったのであり、彼は彼の独断に基づいて仮説を構築し、現実世界と対照することによってその仮説の強度を試したのである。

 

 そこで問題は、それなりの強度をもった、同程度に説得的な世界観が複数並立した場合である。より具体的に言えば、我々の信奉する世界観と明確に対立する世界観を奉ずる集団が、我々の眼前に立ちふさがった場合である。こうした状況において唯一選択しうる解決は、議論による対話ではく全的な無視、あるいは力を用いた封殺であろう。その理由は、彼らの世界観と同様、我々の世界観もまた世界のすべてを説明したものではなく、それゆえ普遍妥当的な真理と呼ぶべきものではないことを、当の我々自身がよく知っているからである。ここにおいて、一般に世界観の闘争と呼ばれるものが生ずる。世界観の闘争において我々は、決して対話的になってはならない。議論することは許されるが、その議論は真摯なものであってはならず、我々は当の議論が外目には我々の陣営の圧倒的勝利に映るよう、周到に演出しなくてはならない。以上のことはいわば顕教と対比された場合における、ファッシズムの秘教である。以上述べた態度、自らの世界観が決して完全なものでない、いわば虚無に一時的にかけられた覆いに過ぎないことを知りつつ、しかし断固として敵対者を攻撃する態度、これを我々は「戦闘的虚無主義」、「戦闘的ニヒリスムス」(militanter Nihilismus)と名付けよう。もう一度言うが、戦闘的ニヒリスムスは民族社会主義の背後にある精神状態であり、敵対陣営には決して知られるべきではないが、我々の間で確実に共有されるべき態度である。

 

 以上本記事では世界、および意志による世界解釈の結果としての世界観、そしてこれらを支える戦闘的虚無主義と呼ばれるべき態度について述べた。しかしながら、このことをめぐり我々に残された、最後の大きな課題がある。現代の日本において我々民族社会主義者が戦うべき相手は、例えば共産主義といった他の世界観ではなく、むしろ世界観の欠如や、世界観の欠如した虚無的状態を自然とみる根本認識、言うなれば無意識的虚無感とでも呼ぶべき状況に他ならないのではないか。この問題の分析によって、戦闘的ニヒリスムスの思想にさらなる発展を促すこと、このことを我々の次なる課題としよう。民族社会主義が我々の知的欲求と情念とを担い、常に英雄的かつ戦闘的であり、そして何よりも常に行動となって展開しつづける思想であるように。

 

民族性について

         

 民族社会主義的世界観を樹立するにあたって、普遍ないし全体、すなわち日本民族性と、個としての日本人ひとりひとりとについて、また両者がとりうる関係について考察することが重要であると考えられる。というのも、我々が民族社会主義者である以上、民族性の本質をめぐる諸点は最も根本的な問題領域に属するものであって、もしこれら諸理念の規定を誤ったならば、民族社会主義的世界観の成立そのものが危ぶまれることになるからである。もちろん、現実世界において力を伴って展開しない理念などは空虚な思弁の産物にすぎない。しかし、だからといって理念規定をおろそかにしてよいというものでもないはずである。以下に民族性の本質をめぐる諸問題を概観し、これに一定の解決を与えることを試みたい。

 

 民族性がひとつの観念であるかぎり、その民族性の性質は大きく二種あるはずである。すなわち民族性は抽象作用の結果としての概念(conceptus, Begriff)であるか、それとも具体者の根拠としての理念(idea, Idee)でなければならない。まず前者について例をあげよう。我々がもし、たとえば「人間性」なる概念を構成しようとするなら、その人は個々具体的な人間を多数観察し、それらの人間に共通の特徴を抽出しなくてはならない。結果として抽出された特徴は、たとえば「理性的動物である」といった程度に留まらざるをえないであろう。反対に、観察された人間全てには共通しない諸特徴、例えば年齢、性別、出身国、家族構成、職業、教育の程度、趣味嗜好、その他全ての諸特徴は捨象されねばならないであろう。このように、経験的にかつ抽象作用を経て構成された観念は、まさしく当の抽象作用の結果としてほとんどの具体性を放棄し、極度に乏しい内包のみを有することになる。さらにその限りで、こうした観念は受動的かつ後行的なものである。というのもそれは論理的に先行するものとしての諸対象をまず要請し、これら諸対象を観察した結果を受容するかたちでしか成立しないのであるから。それゆえこの種の観念を、我々は言葉の厳密な意味にしたがって概念と呼ぶ。そのわけは、概念がそれに先立つ概念把握作用(concipere, begreifen)や、その作用の対象を前提とした、純然たる論理上の仮構物にすぎないからである。

 

 以上のような内実をもつ概念に対し、観念の第二種の区分は理念である。人類はプラトン以来、具体者に先行し、かつ具体者の存在を担保する普遍者としての観念を常に考えてきた。しかしこの種の思想伝統が最も豊かに開花したのは、中世キリスト教世界である。そこでは個と普遍との問題が信仰上の要請を伴って先鋭化し、当時アラビアから西欧世界に再輸入されたアリストテレス哲学の力を借り、天使博士(Doctor Angelicus)たるトマス・アクィナス(Thomas Aquinas, Thomas von Aquin, ca.1225-1274)において、最大の結実をみたのである。その際、トミズムの伝統の中核を為していたのは、次に述べる二つの命題であった。

  

1.  個物の存在を担保する原理(principium)としての理念(idea)ないし形相(forma)が、個物に対して先在している。

2.  個物は質料(materia)による限定を被ることによって、理念から分離され、具体化する。

 

またしても例を挙げて説明しよう。例えば「美」という理念について考えるとき、この理念は個々の美しいものに先立って存在する。さらにこの美の理念は、個々の美しいもの、例えば美しい花や絵画、美しい音楽、美しい思想といったものが持つ美しさを、あらかじめすべて可能的に含みこんでいる。ではこの美の理念から、個々の美しいものはどのように生ずるのか。スコラ学者はこれを、個体化の原理(principium individuationis)としての質料による作用と考えた。つまり我々の例でいえば、美の理念を質料が限定することにより、個別の美しいものが生ずると理解したのである。すなわちトミズムにおける個物とは、被限定的なるものの謂いである。以上中世スコラ学の教理を参考に、我々の考える理念について説明してきた。再度定義しなおすならば、我々のいう理念とは、個別者に先立ち、個別者の諸特徴すべてを潜在的に内包する存在根拠としての観念のことである。この種の観念は本来の意味でイデア的なのであり、それゆえ「理念」(Idee, idea)と呼ばれるにふさわしい。我々は二種の観念を区別して用いるべきである。

 

 さて当初の問題、民族性と民族個々人とをめぐる問題に立ちもどるならば、我々が観念としての民族性を、二種の観念のうちいずれに分類すべきかは明白であろう。仮に民族性が経験的概念であるとしたならば、それは件の抽象作用によって、民族個々人を内包するものというより、民族個々人が持つ性質の上澄みのごときものに堕してしまうだろう。そこで民族社会主義者は後者の理念を採用する。すなわち北星会宣言に述べられてあるとおり、「民族主義的世界観において、この民族性は人間存在の最内奥にあり、人間の生命を根底から賦活し、根拠づける原理であると見なされる」のであり、言い換えれば民族性とは、民族個々人の存在根拠であり、民族個々人のあらゆる特性を内包した理念に他ならないのである。

 

 以上のごとき民族性の規定を踏まえて、我々はさらに民族性と民族個々人との関係について論じよう。個人主義者は全体が個を抑圧すると考えるのであろうが、民族主義者はこの論法を採用しない。むしろ我々は個が自己疎外によって全体たる民族性の有する豊かさから分離していると考えるべきなのであり、言いかえれば個は、個性という限定性ゆえに普遍たることができないのである。この構造に則って、個人としての日本人は、普遍としての日本民族性から疎外されることになる。然るに我々が先に確認したとおり、日本民族性とは無限の豊かさを可能的に内包する理念であって、その具体的展開形態は、日本人が行うあらゆる生の営みの総和である。それゆえこの自己疎外が意味するのは、日本人個々人が生の全体に対して自らの眼をふさいでいること、すなわち一種の頽落に他ならないのであって、こうした個性を、民族主義者は真の個性とは見なさない。このことの理由は、自己疎外によって民族性から分離された個々人には、もはや自らの生でもって表現すべきいかなる内容も与えられないからである。それゆえ頽落した個人は、生の内容を普遍にではなく、他の頽落した個人に求めることとなる。この結果として、個人が個人を模倣し、もはや個性とは差異と反復の謂いにほかならず、真に創造的な精神はどこにも見出されないという状況が招来される。いびつな個性偏重によって、逆説的に個性の平板化が生ずるのである。

 

 では民族主義者が考える個性とはいかなるものか。すべての個性を放下したとき、そこに残されたものが個性である。「魂に残されたもの、それこそが魂である」(Die Seele ist es, die der Seele bleibt. )(レオン・デグレル)。民族性が単一のものであるにせよ、その単一かつ無限の理念のいかなる側面を、いかなる形式で実際の生において担っていくべきか。遥かな過去より民族に蓄積された伝統を、自らが主体となって如何様に展開すべきか。民族個々人がこの問いを自らに問いきかせ決断を眼前にしたとき、そこにこそ真の民族主義的個性が発現するのであり、この個性は民族性に包摂されつつもその必要不可欠なる一部として顕現し、永遠的なるものはこの個性を通じて、可滅的なるものへとあらゆる矛盾をものともせずに到来するのである。

 

 以上民族性と民族個々人をめぐって、民族社会主義者が採用すべき世界観を簡単に述べた。世界観一般をめぐる諸問題については、いずれ稿を改めて論じたい。