Voice of Fascist

VoFの転載兼雑記/現代ファシズムの可能性と実態の探求、批判的再構築の実行.

シャルル・モーラスとアクション・フランセーズ

1. シャルル・モーラスという人物

 シャルル・モーラス(Charles Maurras, 1868-1952)は主に第三共和政下で活躍した、フランスの文学者であり政治家である。モーラスは文学的立場として反ロマン主義、古典主義を標榜する傍ら、政治的には生粋の王党派右翼であり、19世紀末欧州における最強の反動的組織であったアクション・フランセーズを率いながらも、ジョルジュ・ソレル等極左サンディカリスト達とも親交を保ちつづけたという一風変わった人物であった。こうした一種の懐の広さゆえに、モーラスの思想的文学的影響は同じくアクション・フランセーズ界隈から出発したモーリス・ブランショ、そしてムッソリーニおよび古代地中海世界への崇敬の念をあえて隠すことなく、25000行にわたる大長詩『キャントーズ』をしたためた異端の詩人、エズラ・パウンドなど多岐にわたっている。

 しかし我々ファッシストにとって興味深いのは、このモーラスの生んだ思想の余波がアクション・フランセーズ内部において、また外部の右翼的諸党派において批判的に継承され、さらにはサンディカリズムとの思想的混交を経た結果、早くも1925年の時点でフランス最初のファッシズム団体「フェーソー」として結実する点であろう。本記事ではフランスにおけるファッシズム運動の萌芽について考察する前段階として、まずはこのシャルル・モーラスの思想について紹介しよう。

 

2.伝統的フランス右翼とアクション・フランセーズ

 第三共和政下のフランスにおいてモーラスの思想が有していた位置を見定めるために、当時の政治的状況を確認しておかなければならない。そもそもフランス革命の時代以来、フランスにおいて右翼といえば伝統的には共和派が主流であった。その理由は以下のとおりである。フランス革命の進行に伴い、その中心的な推進力はミラボー等穏健な立憲君主主義者たちから、共和制を信奉するジロンド派へと移行する。そしてその移行は、ヴァレンヌ逃亡事件によってルイ16世が国民の支持を失ったのち決定的となる。フランスにおけるこうした王政打倒の機運に危機感を感じたのが、プロイセン王フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世を中心とする、諸外国の為政者たちであった。彼らは革命の熱波が欧州全体に波及し、自らの政体が脅かされることを恐れたのである。そしてこの反動勢力たるプロイセンに向けて革命フランスが宣戦布告し、1792年に勃発したのがフランス革命戦争なのであり、そこではよく知られているとおり、ラファイエット等に率いられたフランス市民軍がプロイセン正規軍を打ち破ることになるのである。こうした経緯で革命を勝ち取ったフランスにおいて、右翼陣営が伝統的に共和制支持にまわることは或る種の必然であった。革命フランス防衛のために銃をとった愛国者たちの記憶が、王党派に対する右翼陣営の距離感を後々までも規定したといいうるであろう。

 19世紀末にはフランスきっての反動勢力であったアクション・フランセーズもしかし、結成当初は以上のようなフランス右翼の大勢に漏れず共和制志向であった。この団体は1894年、「道徳的活動委員会」という、カント実践哲学をもとに社会正義を志向する集団の下部組織として発足したという。そしてこのいわば弱小旧右翼団体に、当時としては異色であった王政復古主義をもちこんだのが、本記事で我々が扱っているシャルル・モーラスなのであった。ではモーラスは自身フランス右翼でありながら、どのようにして王党派的思想に立ちいたったのか。この点について次に見ていこう。

3.自由という桎梏―モーラスの反ロマン主義と王政主義

 モーラスがあまたの他の右翼的文学者に先んずるのは、彼が純粋に自身の詩作の領域に属する原則を現実の社会情勢と照らしあわせて修正し、この参照に次ぐ修正という相互作用のうちで、アクション・フランセーズという欧州最大の右翼集団を牽引しうるだけの実質をもったイデオロギーへと自身の文学理論を昇華させていったという点においてである。以下に彼の文学的立場を概観してみよう。

 当時フランスの文壇では、一世代以前に隆盛を誇ったロマン主義的潮流の限界が次第にあらわとなり、それが内包する本質的に近代的かつ人文主義的な個性偏重志向への批判が徐々に活発化しはじめていた。テオフィル・ゴーティエが小説『オニュフュリウス』において、ロマン主義の現実を痛罵したのが1833年のことである。そののちさらに半世紀以上を経て、自我の無限の憧憬なるものに支えられ、あらゆる地上的桎梏からの自我の解放を推進したロマン主義的想像力の限界は、誰の眼にも明らかであった。個人の自我がすべての束縛から自由であらねばならないというロマン主義的文学理論は、それ自体もまたひとつの束縛として機能し、この使命を自らに課したフランスロマン主義は、自由であることを自らに強制するという自己矛盾によって、いわば自縄自縛の状態に陥っていたのである。こうした文学上のロマン主義を取りまく状況に対して、個性という近代主義的枠組みの外へ出ることで批判を試みた人々がいた。我らがシャルル・モーラスもその一人である。

 モーラス思想の要点を敢えて一語に集約させるなら、それは自由に対比される概念としての限定性ということになるであろう。作品を限定する形式を顧みないロマン主義者たちが、創造性への強迫から行きづまりに陥っていたのとは対照的に、モーラスは伝統的なフランス口承文学の形式に則って詩作を行った。いわば文学における一種の復古主義であるが、この復古主義は単なる衒学趣味や洗練志向に堕することなく、かえってアポリネールが正当に評価したように、伝統的形式という限定性を作品に持ちこむことで詩作の緊張感を高め、結果として逆説的にではあるが、作品に深みのある自由な表現を付与したのであった。

 モーラスの文学観に重要な位置をしめるこの限定性という概念は、政治思想の領域においてもまた、王政の必要性を説く際に彼が根拠とする根源的確信となっている。モーラスによれば、限られた者のみであれ人民によって為政者が選択される共和政体の場合と異なり、王政を支える根本原理とは、国王の血統という本質的に非合理かつ無意味な要素である。こうしたいわば非合理的な超越者たる国王を社会の頂点に据えることで、モーラスは近代を蝕む病理たる個人主義的欲望の留まることなき増長に歯止めをかけようとした。王の血統は非合理的であるがゆえに絶対的であり、それゆえ例えば政治における権力闘争や経済における自由競争といった、近代的自由が保障する競争原理はこれに適応できない。言いかえれば、平民が闘争や競争の結果として国王の地位を手にすることはありえない。このように国王という限定性の存在によって、近代的自由主義の根幹たる競争原理を挫き、そこからさらに個人主義的欲望にも一定の制限を加えることができる。モーラスはこのように考えたのである。

 さらにモーラスによれば、共和制に王政が優越する理由はまだ他にもある。国家を現実に形成しているのは様々な年齢、性別、出自や性向からなる人間の集団であるが、この非常に多種多様な人間の集団を、共和政体はただ人民という単一の範嚋に押しこめてしまっているとモーラスは考えた。もともと多様かつ異質のものを無理に単一の概念でとりまとめ、これに単一の価値体系を押しつけることは伝統的文化の破壊であるばかりか、人間同士の異質性をかえって際立たせ、国内に深刻な対立を生じさせかねない。そこでモーラスは多様なものが互いに同一化するのではなく、国王という絶対超越者を頂点に多様性を多様性のまま保持しつつ、ゆるやかな調和のうちにたゆたう社会を構想した。それはどのようなものか。

 モーラスは恐らく、先に近代の病弊であると述べた競争原理が、そのまま国内の同一化という現象を導くと考えていたに違いない。例えば地方による大都市への従属、多数意見による少数意見の圧殺など、自由競争の結果招来される諸現象は、いずれも強者による弱者の同化という形をとり、結局のところ文化破壊としてモーラスが憎悪する国内の画一化を招くことになるからである。これに対して先述のとおり、国王の血統はその無意味性によって、近代主義的競争原理による汚染を免れている。こうした超越者としての国王を頂きつつ地方分権的な社会をつくることによって、競争原理がもたらす国内の画一化を回避し、フランス文化の多様性をまるごと保持しながら、危急の際には団結の象徴としての国王のもとに結集する。およそこれが、王党派モーラスの理想としたフランスであった。

 

4.終わりに

 以上概観したモーラスの王党派的政治思想の重点は、以下の二点に集約されることであろう。

1. 王政とそれを保証する血統とは、自由競争という近代主義的原理とはまったく別種のいわば非合理主義的原理であり、それゆえ個人主義的欲望の際限なき増長に歯止めをかける抑止力たりうる。

2. 国王の血統が有する非合理性が自由競争と相反する性質を持つゆえに、それはまた自由競争によって損なわれてしまう文化の豊饒さを保持する原動力たりうる。

こうしたモーラスの王党派的政治思想から、我々日本国のファッシストは何を学ぶことができるであろうか。まず思い起こされるのは、日本国統合の象徴としてご皇室を頂く現代日本における、モーラス思想の可能性であろう。特に1. の点に関しては、畏れ多くもご皇統の有する非合理的性質を、国際金融資本主義を支える個人の消費活動の無際限な称揚に対抗しうるまったく別種の原理として把捉するというように、ただちに現今我が国の状況へと転用できると考えられる。次いで2. の点であるが、この場合事情はやや複雑である。国民統合の象徴としてのご皇室を頂く地方分権社会は、我が国の一部の右派勢力が理想とするところであるし、また理想とされるだけの十分な根拠をもつ社会類型であると信ずる。しかし、我々ファッシストもただちにこの種の社会を理想とすべきか。第三共和政下のフランスとは異なり、情報媒体と交通機関との飛躍的発展によって、既に引き返すことのできない文化的画一化への道を辿りつつあるというのが、昨今における我が国の状況なのではないか。もし事情がこのようであるとすれば、地方に残存する特殊文化を手厚く保護することは当然としても、国内の文化的画一化をも転じて是とすることができるような、我々に独自の文化理論が構築されねばならない筈である。そしてこの理論の成否は、そもそも文化や伝統とは何を意味するかという、文化一般の内実の理解にかかわる事柄となるはずである。勿論こうした大きな問題を本記事の内部で取りあつかうことはできないから、我々はモーラス思想を概観したことを一応の成果とし、続く考察は別の記事に委ねることにしよう。北星会およびそのファッシズムが常に英雄的かつ戦闘的であり、生気にあふれた豊穣な思弁を生み出しつづけることができるように。

 

参考文献:『奇妙な廃墟―フランスにおける反近代主義の系譜とコラボラトゥール』(福田和也国書刊行会、1989)103-131頁