Voice of Fascist

VoFの転載兼雑記/現代ファシズムの可能性と実態の探求、批判的再構築の実行.

ナチスを矮小化する高須克弥はファシスト失格だ!日本における『ナチス』のコンテンツとしての消費、その害悪

 

趣味者的矮小化への怒り

 タイトルを見て困惑された方のために説明させていただくが、私はファシストである。

 今回の高須克弥に対する主な批判は、医師が「ナチス賛美」を行う問題性についてであり、それが左派と右派の政治的対立に発展していると言えるが、私がこの記事で主張したいことは、高須克弥の行ったとされる「ナチス賛美」が実際はナチスの矮小化でしかなく、このようなコンテンツとしての『ナチス』消費は我々のファシズム運動の発展にとって障害でしかないということである。もっと言えば、この問題についてファシストの立場から高須克弥の言動を批判することを通して、日本で行われてきたナチスの趣味者的受容そのものを批判することが目的である。(左派が彼のような人物を医師失格と非難することはよいとして、ファシスト扱いされるのは困るというのもあるが)

 

ナチス賛美」の実態

 まずは高須克弥が行ったとされる「ナチス賛美」の詳細を見ていきたい。

 

僕は確信した

誰が何と言おうが
ヒトラーは私心のない
本物の愛国者

ニューオータニに帰ってきた|高須克弥オフィシャルブログ「YES高須クリニック! 」Powered by Ameba

 

  確かに、彼はナチスに肯定的なことを書いているが、その内実をよく見ると彼の言動が「ナチス賛美」どころか矮小化でしかないことがよく分かる。

 まず、主に彼が肯定しているのはナチスの科学についてであるということが、自分を科学者としてネオナチと対比したり、科学者は尊敬するがイデオロギーは支持しないと言うような論法から読み取れる。これは趣味者にありがちなやり方だろう。ナチスの経済政策や科学技術、軍事といった側面からナチスを評価し、絶対悪的に扱う左派を批判するというのはこれまで何度も行われてきた主張である。いわゆる「ナチスにも良いところがあった!」だ。

 だがこういった主張こそナチスの矮小化だろう。ナチスは景気を良くするための集団でもなければ単に戦争をするためだけの集団でもない。ナチスの究極目的は国家社会主義革命による彼らの「世界観」の実現であり、経済や戦争は手段に過ぎないのだ。その世界観の中に社会ダーウィニズムに基づく人種論が含まれていることはいうまでもない。極端に言えば、ナチスの人種論やホロコーストの問題を抜きでナチスの偉大さを語ることは不可能だろう。高須克弥や趣味者たちがよく行うナチス賛美の実態とは、もっとも重要なイデオロギーを無視することで、俗的な「政策」の次元にまでナチスを矮小化することに他ならない。自らの小市民的道徳にナチスを沿わせることによって、イデオロギーの重要性を無視し、『ナチス』そのものを相対化、無害化したコンテンツとして消費するのだ。高須克弥は「僕にナチスの偉大さを教えて下さった黒木名誉教授」と言っているが、その教え子がこのようなナチスに対して不誠実な矮小化を行っているようでは教えて下さった恩師にも失礼だろう。

 

 

 第二にホロコースト否定についてであるが、これもまったくナンセンスと言わざるを得ないだろう。このような問題については、すでに私よりも的確な批判がなされていたので引用する。

 

 

ホロコーストなど無かったという歴史修正主義者がいますが、彼らはナチスを擁護しているつもりなのでしょうが、実は良くも悪くもナチスの矮小化だと思います。ナチスからホロコーストを取ったら、ナチスはどうしようもない社民の一種だと思います。もしナチス存在論的な革命性を言うとするならホロコーストだと思います。通常の立場からすれば、なぜ人を殺すことが倫理的行為なのかという批判や疑問があるわけであり、それを解かなければならないのです。

千坂恭二著 思想としてのファシズム大東亜戦争と1968」 

 

 

 

 

 第三に高須克弥の「ヒトラーは私心のない本物の愛国者」という発言についても、陳腐で俗的な肯定でしかない。いわばヒトラーナチスの思想を愛国主義に矮小化するというのはこれまで幾度となく行われており、これもナチスの最も重要なイデオロギーや世界観についての認識、理解が欠けているが故の言動だろう。ナチズムやファシズムは単なる愛国主義ではなく、従来の体制派や保守主義者、右翼に対しても緊迫した対立関係にあった。ここでファシズムイデオロギーについて長々と書き連ねるのはナンセンスかつ私には重荷なので、象徴的な事柄を一つだけ上げるが、ナチス党歌の歌詞には共産主義者白色反動が撃ち殺した同志の心とともに行進すると書かれており、その性質を端的に表している。ナチスを批判するにしても肯定するにしても、彼らのイデオロギーを無視して行うことは不可能であり、無意味だ。私個人はファシストではあるがネオナチではない為、ナチスに批判的な側面もあるが上記の事を認識したうえで批判している。

 

まとめ:高須克弥ファシストというよりも趣味者

 結局、今回の問題は医療従事者がナチス信奉者であったというよりも、ナチスをコンテンツとして消費していたと言った方が正確だろう。もちろんこれはこれで問題ではあるが、問題の性質が異なる。とても雑に言ってしまえば、スターリン金日成肖像画を部屋に貼り、ウラー!だとか言っている共産趣味者が公に発言して炎上したようなものと同じである。

 高須克弥は「ネオナチはファッションで僕らは科学者」と自称しているが、意志の勝利を見て感激し、記事のタイトルをハイルヒトラーにしたり、こうやって問題になるとナチスを批判する(その内容も稚拙だが)等、彼の方がよっぽど「ファッション」的であるとしか言いようがない。海外におけるネオナチ、ネオファシズム運動は良くも悪くも先鋭的であり思想的水準も高く、彼のファッションぶりと比較すると歴然の差である。この記事が今回の問題から発展した左右の政治的対立に加わるものだと誤解されるのは不愉快なのでもう一度強調するが、この記事は彼のようなファッション的な『ナチス』消費が、政治運動としてのファシズムの発展にとって害悪でしかないと思ったため、ファシストとして批判したものである。今回の問題やナチス制服のアイドル等のように、ナチスについてはたびたび炎上するが、そのほとんどは日本が他国に比べナチス』のコンテンツとしての消費に甘いという事実が原因だろう。左派などはこれをファシズム信奉者によるものだと判断して批判するがそれは間違いであり、それらの実態は趣味者や消費者によるごっこ遊びでしかなく、主義者による政治闘争では決してない。むしろ趣味者による矮小化はファシズム運動の発展を阻害している要因の一つでさえあるのだ。このことは日本におけるネオナチ、ファシズム運動の現状を他国のものと比較すればすぐに理解できることであろう。

 

結論

 我々日本のファシストはこのような風潮によって発生するナチズムやファシズムの矮小化・修正・改悪を決して許してはならず、批判していかなければならない。

 

 

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